ももねこと会社とお仕事と。

私の周りにはクリエイターやアーティストがたくさんいる。
私はいつも彼ら彼女らの少し後ろで、「この人すごいやろ!!」って誇らしげに見ている。
まるで自分の手柄かのように「私の友達はすごいのよ!!」って自慢する。

近頃、そんなすごい人たちの少し後ろで、頭や手をちまちま動かしてプロモーションのお手伝いをさせていただく機会が、ちょっとずつ生まれてきました。

せやねん。
私ね、「この人すごいやろ!!」って自慢するの、得意やねん。

でもって、丸10年!webの世界でいろーーーんな会社の、いろーーーーーんな商品やサービスを、顔の見えない“不特定多数の皆さん”に好きになってもらうためのコミュニケーションのお手伝いをしてきてん。今もやってんねん。

ってことは私、もしかして、もしかしてだけど、「この人すごいやろ!」っていう自慢を、“不特定多数の皆さん”に好きになってもらうために、役立てられるんじゃない??
それって、まるっとひっくるめて、マーケティングでプロモーションじゃない??

というわけで、何となくではありますが「私のやっていきたいこと」の輪郭がカタチをもった次第であります。

「私のやっていきたいこと」の輪郭と、不安要素

カタチをもった次第であります、っつって、大枠で見たら今会社でやっていることそのままで、だからどうした?っていう話ではあるのですが。
ここで私が思えたのは、マーケティングとプロモーションをやっていくのに会社という枠は必須ではないだろう、ということです。

もちろん、大きなマーケットを知るには大きな企業に在籍している方が断然有利です。
というか、その規模でのビジネスがしたければひとりでは絶対に無理で、大企業という組織に属している必要があります。
動くお金も人も、かける時間も手間も技術も、マーケットが大きくなればなるほど膨大になっていくのは当たり前。

でもって、その規模に触れ続けていないといずれ自分の感覚も知識も経験も鈍ってしまうのでは?という不安さえありました。
今も「まったくない」と言ったら嘘になる。

だってさ。
繁華街のカフェでひとりお茶しているときに、たまたま隣の席での商談が聞こえたりしてさ。
たまたま同業種の商談で、たまたま私の専門分野のお話でさ。
「何だこのおっさん……適当なこと並べ立てて、本当にプロか??」
なんて思ってしまうようなことが、実はあったりもするのだもの。

そのおっさんには悪気なんてちっともないのはわかるし、恐らく本気でクライアントに諸々説いて諸々おすすめしているのだろう。
だけどねおじさん、その感覚はもう数年前で止まってしまっているよ。と、ぬるくなったコーヒーをすすりながら私は思うわけだ。

これはひとえに、大企業で大企業相手にビジネスをさせていただいている、という環境が常に私の感覚を磨き続けているから、なのよ。
チームで、組織で仕事をするが故、いわゆる知見の共有、なんてものが日々行われているから、なのよ。

もし、ぽーんと世の中に解き放たれたとして、最初はがつがつ走り続けていられても、はたと立ち止まったときに自分の感覚が鈍ってしまっていたらどうしよう?
もう使い物にならない情報や知識を、古くなってしまったセオリーを、偉そうに誰かに説くようになってしまったらどうしよう?

そんな不安と心配が、私の心中に渦巻いておるのです。

「私のやっていきたいこと」の輪郭と、いけるやろ要素

一方、「マーケティングとプロモーションをやっていくのに、会社という枠は必須ではないだろう」と思う自分もいる。

マーケティングもプロモーションもデザインもライティングもコーディングも何もかも、どんなことだって最終的には人と人のコミュニケーションなのだから、人と人を繊細かつ鋭く見る目と世の中の進化に敏感なアンテナさえ意識して持っておけば、いけるんちゃう!?って思うのね。
だってだって、会社という組織でもそのふたつを持っていなければ、指示待ち人間として埋もれていくばかりだもの。
(そういう働き方を否定しているのではありません。私はそういう働き方を望まない、というだけです。)

となれば、大きなマーケットで大きな仕事をしたい!という明確な目的がないかぎり、企業や会社という枠は必須ではないなぁ、と。
でもって今の私にはその明確な目的がないなぁ、と。
マス的な展開ばかりが私の望むマーケティングやプロモーションではないなぁ、と。

ということは、如何に自分の鋭敏な目とアンテナを保ち続けるか・進化させるか、が命題だな!と。
そう思ったのでした。

会社というものについて思うこと

会社というものについて思うことがもうひとつありまして。

会社って、当たり前なんだけど会社のためにみんなが動いているんです。
もちろんその先にある個人への還元は諸々あります。給与や賞与や福利厚生、知識経験その他諸々。
だけどそれは飽くまでも「会社のために」の先にあるもの、なのよね。

経営層から数段下くらいまで、そうね、ある程度の管理職くらいまでなら、その「会社のため」と「自分のため」の距離が近いから、お話する内容に血肉と体温を感じることが多い。
ただ、レイヤーが下がるにつれ、どうしても、半ば物理的に会社のためと自分のために距離が生じるから、血肉と体温を感じられなくなってくることが、とてもとても多い。
要は、つまらなさそうに仕事をしている人が多い。
もちろん、意識の持ち方次第で、会社のため=自分のためになるのだけれど。

私がメーカーさんを相手に仕事をするのが好きなのは、メーカーという業種は自社製品を愛し自社の抱えるマーケットを愛する担当者が多いから、なのよ。
その愛は血肉となり体温を生んで、結果、楽しそうに仕事をしている人が多い(経験上のお話です)。

で、会社のためと自分のためが遠くなりがちな人たちがよく聞かされている言葉が、「大丈夫。あなたが休んでもみんながいるから。無理せずに休みなさい。」とか「一定のクオリティを担保するためにナレッジを共有してください」とか何かそういうやつです。

耳障りのよいこういった言葉は、言い換えれば「あなたの代わりはいくらでもいるし、誰かが抜けても業務が回るように組織は作られているべきです。」ということ。

いや、当たり前やねん。
組織ってそういうものだもの。
私が休んだらみんなに迷惑がかかる!高熱でも出社するわ!!っていう状況を作ってしまうのは組織づくりがクソな証拠なの。
そことは混同しないでね。

話を戻しますと、「あなたの代わりはいくらでもいるし、誰かが抜けても業務が回るように組織は作られているべきです。」というニュアンスを刷り込まれていくうちに、血肉と体温を失う人が多いんじゃないかと思います。要因のひとつとしてあると思うんです。
最初からそういうスタンスじゃない人は置いておいて、元々は血肉と体温をもって仕事をしていたい人が、それを失ってしまうんじゃないか、ってね。
そして私は、血肉と体温を失うのはまっぴらご免なのである。

ということで、まとめ。

世の中には本当にたくさんのクリエイティブが溢れている。
私の目の前に転がる書置きのメモひとつとっても、書いてくれた人が「私にわかりやすように」とクリエイトしてくれたものだし。

そこにクリエイトを認知するかどうか、さらっと流さずに大切にするかどうか、で、クリエイティブな人として生きているかどうか、が問われるのではないか、と思う。

職業がいわゆるクリエイティブ職かどうか、なんて関係ないの。
クリエイティブは生き方そのものなの。
デザイナーやらライターやら、そういう肩書きの元に働いていても全然クリエイティブな生き方の人でない場合は多々あるのだから……ってのは余談です。えへへ。

長くなった上にちょっと論点がフラついていて恐縮ですが、まとめると私は仕事が好きだ、ということです。雑なまとめだな!

ただ、私の「どんなカタチで仕事をするか」というヴィジョンはどんどん広がっていて、そしてそれがパリッと輪郭を出してきて、何だか嬉しいな。というお話でした。