必要な鍵はどこだ

光も闇も全部自分の内側にあって、清濁併せて混ぜ込んで押し並べてトントンってしたものが自分なんですよ、ってことを理解した、その後。
改めて自分ってやつを見た時に、どーーーしてもどーーーしても「こんな自分は嫌だ!!!!!」ってなる部分とどうやって付き合っていこう、ということをここしばらくずっと考えております。

嫉妬も意地悪も我侭も執着も全部全部自分の中にあるもので、それらが“在る”ことを認めて理解した後、「そんな自分が自分なのだからよしとしましょう」みたいな気分にはなれなくてですね。
や、在るのはわかってるし在って然りだし、別にそれらを悪に仕立てて追い出したり閉じ込めたりはしたくないです。つーかそれをやったらとんでもないしこりになってまた自分が苦しむことになるのも辟易するほど知ってるし、それはいいんです。
在って然り、在るものは在るのだからいいんです。その後の話だよ。

そもそも自分の嫌な部分っていうのは、大ピンチに陥ったときに自己防衛機能として発露することが多くて、だからそのときはある意味でそうするしかなかったんだ、ってなりがちなんだよな。
だけどそれってその場をしのぐことはできても、大嫌いな自分が粗相をしたっていう黒歴史にしかならなくて、結局後からまた苦しむことになる。
だからそういう緊急措置的にオートで発動するものとは別に、自分で制御できる自己防衛機能を備えておくのがこれからの課題だと認識しています。
願わくば、大ピンチに陥る前に自分を助けられるようなスキルを身につけておきたい。

超平たく言うと、にっちもさっちもいかなくなって癇癪を起こしてしまう前に対処するということ。
にっちもさっちもいかなくならないようにモノゴトを進めたり、自分を誘導したりする、そういうことです。

癇癪に類する「嫌な自分」の行いは、自分自身に深い爪痕を残す。
それは後悔や自責の念となって心の深い部分に巣食い、過去の自分が亡霊となって足をぐいぐい引っ張ってくるのだ。

でもね、その亡霊を憎んだり、忌避したり、攻撃したりするのはお門違いだよ。
よく見てみろよ。その亡霊、自分自身だよ。見た?見た。見たよね……。
辛くて見たくなくて大嫌いって言ってしまうしできるなら過去の出来事と一緒に抹消してしまいたいけれど、だけどそんなの、結局は可哀想でとてもじゃないができないんだよ。
できなさすぎてずーーーっと苦しんで、その苦しみの最中にふと、「何故足を掴み続けてくるのか」というところに考え至り、それはあの頃からSOSを出し続けているからなんじゃないかってねえ。思ったりして。

苦しんでいる最中はそりゃあ自分自身が憎くて辛くて悲しくて、こんな自分は大嫌い!!って何度も何度も踏みつけてくたくたになるまで消耗したし、それが一生続くのかと怯えもした。
でもって踏みつけ続けるかぎりは本当に一生続くんだろうな。

踏みつけずにその手をとって、対話する。
そこにどうやら鍵が隠れているっぽい。
探すぞ!鍵!