期待の成れの果て

依存ってのは期待の成れの果てなんじゃないかと思う。
例えば「あの人は○○をしてくれた」っていう事実から「だから△△もしてくれるんじゃないか」という期待になって「いつか△△してくれるはずだ、離れるわけにはいかない」という依存になる。
これはもちろん一例であって、いろいろな形がありますよ。

ただそうなってくると結構厄介で、「いつか~~かもしれない」がどうしても惜しくて離れられなくなる。
視野が狭くなって、自分のことが大嫌いになって、不安定の極みを見る。
そしてさらに依存する……って、そういうスパイラルに陥る。

私はそれがめっちゃ怖い!正しくは、怖かった!
そんな風になりそうなしっぽを自分の中に見たときは正直マジで怖かった。怖かったし、スパイラルに陥る前にどうにかしようとしていろんなことをアレしてコレして、いやまぁそのやり方もあんまり良くなかったんだけど……まぁそれはいいわ。ただの昔話よ。

「いつか~~かもしれない」がどうしても惜しくて離れられない、という状態は、自分の行動の理由や基準がすべて相手になるのよね。
そうなるともう大変、顔色伺って反応伺って、すべての基準が自分じゃなくなるからヘトヘトに疲れてしまう。
人って自己中心で自分本位が当たり前で、それがきちんと機能して初めて人とまっすぐに付き合えるんだよ。
だから、まずは自己中心的・自分本位を上手にできることが大切で、そのためにはいろいろな自分のダメな部分やクズな部分を認めて可愛がることが必要で、それと同時に本来の望みや満足するポイントなんかを知ることが必要なんだ。
すげぇな、めっっっっっちゃ難しいな。

依存の話になると、「依存してしまうから我慢する」とか「近づかないようにする」とか言う人が多々いるけれど、それって根本の解決にはならないんだよなぁ。
それは痛みを避けるための手立てであって、そうするのなら一生そんな風に大好きなものを避けなくちゃならない。せっかく大好きになれたのに……もったいないね。

大なり小なり、どっかに依存や執着を抱えている人は多いので、「手放す」っていう言葉がオラクルカードにはよく書かれているのでしょうな。
渦中の人間からしたら「そんな簡単に手放せたらこんな風になっとらんわ!!!!!」って思うんだよな。ハハハ。

今朝のワンオラクルでまさに「手放す」っていうカードが出たので、思ったことを書きました。
今だから言えるけど、「手放す」ってのは必要なものを捨てるってことじゃないんだよね。
本当に必要なものをきちんと手元に残すために、視界を曇らせている不要なものをポイポイ捨てていくってことなんだと思う。
考えて考えて向き合って考えてひーひー言って考えて、要るもの要らないものを精査していく作業なんだと思う。
最中は苦しくて苦しくて仕方がないけれど!