ぐるぐる考える、考える。苦悩を愛す。

人間は苦悩する存在である、ってフランクルさんが言うように、どうも苦悩を楽しむというか愛する癖が人間にはあるようで。
幸せな時間はさらりと過ぎてしまうのに、苦悩の時間は重く深く濃密に存在感を示してくる。

ぐるぐるぐるぐる同じところを繰り返すように感じている間は本当に苦しくて悩んで嫌になって辛いけど、その先には今までの自分だったら絶対に辿り着けなかった場所があったりもする。

するんだけどそれを楽しみに苦悩できる人なんてそうそういないでしょ?
いやーしんどいなぁーでもその後が楽しみだな!わくわく!ってならんでしょ。
大体がもうあかん辛い……何でこんな目に……ってなるでしょ。なるよね。そらそうよね。

しかし不思議なことに、苦悩から抜け出してしばらくしたら、また苦悩に戻りたくなる。ならない?なるよね。ならない!?
能動的に「あぁ~苦悩してぇ~~悩み欲しい~~」って感じじゃなくて、「あっ、あっちは片付いたけどこっちにまだこんなのがあったな。向き合おう。」みたいな感じ。実際にはそんな冷静でも平和でもなく「うっわそうきた!?うわ~~~~もう~~~~~勘弁してくれ……死」って感じだけれども。
これも頭で考えてこうなるのではなくて、不意にそういうタイミングが訪れるのを見て見ぬふりできないのよね。

それに、苦悩してるときって頭の中が忙しいから、妙な充実感がある。四六時中それのこと考えてるから対象物への親密感も半端ないし、何ならそれでもっともっと大好き!ってなることもあると思う。
脳内で作り上げたあれやこれやと実際のことを混ぜ混ぜして、実物+αの像に愛着を示すわけです。その逆もまた然り……。

苦悩の中で作り上げた像はとてもリアルで、それがすべてみたいに感じてしまうことも大いにある。
それってすごい怖いよね、だってひとことで言ったらただの妄想なのよ。現実との乖離が生まれる可能性すげー高いのよ。
でもまぁ、当人の感じてることが現実だからね……どっちがどうか、っつったら割と難しいことかもしれない。
まぁその辺の境界線は一旦置いておこう。

で、直接の接点がない相手なら、接点がないってわかってるから妄想を妄想として認識できるけど、接点のある相手だとこれができなかったりする。
なまじリアルの関係なだけに妄想と真実の境界線が本当に曖昧になる。
相手の態度が少し冷たく感じられた(=妄想、相手の真意がわからない)として、実際は冷たくしたのではなくてたまたま目の前に虫がいたとかで注意が逸れたから瞬間的にそう見えちゃった、のかも知れない。っていうのがわからなかったりする。
もちろんそういうのが感覚の余地みたいなバッファみたいなものとなっていい方向に作用することもあるけれど、大抵の場合は苦悩の中で不安を育てる材料になっちゃうんだよなぁ。

それでもやっぱり、頭の中でぐるぐるぐるぐる考える。
そのぐるぐるが少しシンプルになったり、ちょこっと新しい光が見えたりしたら、そのテーマはもう少しでクリアのチャンスなんだろう。
クリアした!って思える自分をイメージできるようになるんだろう。

イメージできることは実現できるんだぜ。ってJがこないだのライブで言ってた。
だから私ももうすぐ今のぐるぐるテーマから卒業できるんだと信じてる。
もう少しぐるぐるを楽しもうかな!しんどいけどな!