ねこ、引っ越したってよ。

新しい住処は京都だーーーーー!

生まれてから32年と3ヶ月、ずーっと兵庫県民でしたが、先日をもって京都府民となりました。
運転免許証の住所更新が完了した際、窓口のマダムに「これで京都府の免許証になったからね」と言われた瞬間に「あぁ引越したんだなぁ」という妙な感慨に包まれたね。

だって、京都って遊びに行く場所じゃん。
今まで月に数回、遊びに行ってた場所じゃん。
四条河原町も!三条も!京都駅周辺も!わーいお出かけお出かけ!って電車に揺られて余暇を楽しむ場所だったじゃん??

これからは毎日余暇です。
余暇を楽しむ場所に住んじゃうのだから、毎日余暇です。
やったぜ!

隣県への移動とは言えずーーーーーっと住んでいた地域を離れるのだからちょっとは寂しくなったりするのかしら?と思っていましたが、実際は実家に帰る時に先日まで住んでいた場所の最寄り駅を利用しなきゃいけないのと仕事の関係で以前の生活圏内にも足を踏み入れますのでその辺の感傷は特にありませんでした。
「わぁ~懐かしい!何年ぶりだろう!この辺も変わったな~」などと胸を熱くすることもなさそうです。

一応、引越し先の候補に大阪府というのもありました。
が、何だろう、大阪で生活をするというヴィジョンがあまりに沸いてこず……。

もうね、大阪は「働く場所」という役割が私の中で確立されているのだと思います。
今思えば、「住む場所」と「遊ぶ場所」が一緒になるのは嬉しくても、「住む場所」+「働く場所」が一緒になるのはあんまり嬉しくなかったのかもしれません。

大阪だってもちろん全部が繁華街やオフィス街ではないし、住みやすい街がたくさんあるのも知っています。
実際、私が働く会社の周りだって住みやすそうないい雰囲気の街です。
やけど、せやけどーーー!京都に住みたかったんだよ……。

これからお散歩が超捗る予感しかしません。
のんびりと街を歩いて、お腹が減ったら美味しいものを食べて、暗くなったら銭湯で温まっておうちの布団で寝るんです。
最高かよ!!!!!

そうそう、土地との相性ってあるじゃないですか。
何故か嫌な思いばかりする土地=文化が合わない土地だと思うんですけど、そういうのありません?
自分の当たり前が当たり前として通用しない土地。

例えば駅のホームで列を成さない、列を作っていても当然のように割込みがある、みたいなやつね。
いっそ外国の方に対してだと文化が根っこから違うのが前提なので「仕方がないな」で済みますが、同じ日本人だとどうも不快感が先に立つ。
これってきっと「日本」というベースが共通であって、その上での合う/合わないが生じるからなのかなぁと思います。

要は、同じ日本で育って生活しているという前提があるだけで、私の中の「電車やバスは列を作って並んでいる順で乗るもの」という“常識”を周りの人全員に押しつけちゃうんですね。
「いや、普通並ぶだろう!?」って。

でもこれ、もしかしたらその土地では「○○駅の○時頃は混んでいるから列ができるけれど、それ以外は列を作らなくても大丈夫」というルールがその土地の人たちの間で“常識”として根づいているのなら、そこで「並ばないの!?」と慄いている私が却って“非常識”なんだよね。

大きな括りでの共通認識が機能している中で、ローカライズされた独自ルールが生まれるのは自然なことです。
自分が馴染みのない土地に出向いたときに「何よこの土地の人たち!常識がない!サイアク!」なんて喚くのはお門違いだわ。

お門違いなんだけれど、やはり合わないものは合わないのでできるだけ冷静に「致し方なし」と自分を納得させる努力をしつつ、すんなり退散できるように手筈を整えています。
簡単に言うと耐え忍んでさっさと帰る。これな。

土地に限らず、偶然嫌な目に遭った場合も同様です。
「あぁこの人は私と違う文化やルールを持っているんだ」と自分を納得させつつ静かにやり過ごします。
合わないものは合わないのだから仕方あんめぇ!

とはいえやり過ごせない局面もありますね、それはそれです。
それこそ仕方がないです。
例えば会社みたいに有象無象の集まりで何かを生み出すにはルールと文化でキュッとまとめるのが有効ってこともありますから。
郷に入りては郷に従え~~従いながら面白いことをやるぞ~~~。

最終的に何だかよくわからない内容になりましたが、とにかく引越したというお話でした!
気づけば前回のブログ記事投稿から丸1ヶ月経っていて、時の流れの速さを噛み締めている次第です。
しばらく新居の片付け等々でバタバタですが、12月25日(日)の癒しスタジアムに出展しますので、興味がございます方は是非遊びに来てくださいませ!
何やろっかな~~~。