ただの自分、のカタチ

クセの話をしようと思う。

今日は何ひとつまとまった話じゃないし、ただ私が思っていることをだらだら書いているだけの、いつにも増してグズグズの記事ですよ。

スピリチュアル的に言えば“過去世からのカルマ”とかいうやつかもしれないな。
あるじゃん、「何故かいつもこうなんだよ!」ってこと。
次回以降気をつけます、っつて気をつけられないやつね……いやいや気をつけてるんだけどどうにもこうにも繰り返しちゃうんだよぉ……っていうやつよ。

この話、理性で理解してる悪癖とはちょっと区別したい。
例えば私が忘れ物が多かったり遅刻しがちだったりするの、それは一旦区別しよう。
もしかしたらこれらも立派なクセなのかもしれないけどさ。

私が今この記事で話したいクセって言うのはそういう単一的なものではなくて、「問題に面したときにいつもと違う選択肢を選び続けたはずなのに気づいたらいつもと同じような自分に直面していた」っていうやつです。
ピンときた人、「あちゃ~~~……」って気持ちになってるでしょ。
私はいつも「あちゃ~~~……」ってなるよ。

その、どうやら私の奥底にぬるっといるらしい“いつもと同じような自分”の顔が、最近になってぼんやり見えてきた。
正しくは、ずうっと昔から知っていたけれど意識していなかったそれを意識するようになった。

そんなクセが見えてくると、理想でも何でもない“ただの自分”が徐々に浮き彫りになってくる。
何の飾りも背伸びも理由も理屈も何もない、ただの自分。

うまく社会を泳ごうとして頑張った結果ついたクセとか、いわゆる常識とかいうやつでつけられた折り目とかそういうの全部剥いだあとの、剥き身の自分の形?
いや、そこまで言っちゃうとダメな気がする。
ダメな気がするけれども限りなくそれに近いんだよ。

そもそも自分って何だと思う?
名前って何だと思う?
まー別にそんなことどーでもいいんですけどね、そんなの横っちょに置いといたって生きていけるし。
というか、置いといた方がいいのかもしれない。
目の前に在ることに関わった方が、幾分健康的だよ。

ただね。
私はどうやら納得したいらしいのだ。
クセの周りのことを無視できないレベルまで認識してしまったから、納得したいんだね。
クセに対する「何故」でも「何のために」でも何でもいいから、クセが原因でも結果でもどっちでもいいから、納得したいのだと思う。

…と、ここまで書いてから似たような世間の声があるだろうと「魂 クセ」っていうワードでググってみたところ、あるある。
あるんだけど大体のサイトに書いてあることは私が言おうとしていることとはちょっとずれているなぁ。
認めたり直したりするもんじゃないんだよ、私が言ってるやつは。
うーーーん、説明できぬ。

何を言っているかわからないまま、今日はこれでおしまいにしよう。
そんなクセの話だよ。