続・目の前にあるものすべては不思議で面白い。

先日の記事の続き……ではないけれど、前提としてこの記事があるよ、という感じで読むとより理解しやすい記事です。

▼先日の記事はこちら。
20160919:目の前にあるものすべては不思議で面白い。

上記の記事を投稿した後、Twitterで「センス・オブ・ワンダー」というセンテンスを絡めてご意見を賜りました。

本当はきちんとツイートを引用したかったのだけれど…ご本人に許可を取っておりませぬ故、要約します。

「センス・オブ・ワンダー(言葉の意味はググってね)はすべての人に備わっている先天的な感覚であることを前提として、何らかの理由…その人の経験や環境等でそれがうまく発揮できないこともある」ということ。
そして、「その感覚を発揮できていない場合、どうやって発揮できるようになるのかを提示できるといいね!」ということ。

そうね、そうだわ。ふむふむ、一理ある。面白い!

上記の記事を投稿したときは、照準を完全に「私」に合わせていたためにああいう書き口になっておりましたので、今回は少し照準の先を広げた記事を書きます。

いやはや、貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございます。
情報や思考を発信したときの醍醐味ね、他の方からいただく視点だったりシナジーだったり、そういうのって大きいですね。
ここで改めて御礼を申し上げておきます。

「センス・オブ・ワンダー」ってなぁに

平たく言うと、すべてを対象に“不思議を発見する感覚”です。少なくとも私の解釈はそうです。
SF用語の方も、でっかく括ると似たような感覚ではないかしら、超荒っぽいけど。作者が作品内に散りばめたたくさんの不思議を発見しながら、世界観に没入していく感じ……堪りませんね!

そういった、落ち葉が落ちるのは何故?どうして人間は二足歩行なの?空気に味がないのは何故?石はどうして硬いの?ねこはどうして柔らかいの?……身のまわりって不思議がいっぱい!面白い!!みたいな“不思議を発見する感覚”を活かすのは、子どもの方が得意かもしれない。
個人差はあるにせよ、子どもはみんな「ナゼナニナンデ」を繰り返して成長していきます。
いわゆる「ナゼナニナンデ?がしつこい子ども」は、センス・オブ・ワンダーの塊です。

ただ、この感覚を何らかの要因で押し込め続けたり、否定し続けたり、無視し続けたりすると、うまく発揮できなくなっちゃうのですなぁ。

そこまでいかずとも、大体の人は理解と納得と収斂を繰り返しながら大人になりますので、やはりその辺りの感覚を活かすのは、子どもの方が得意なんだろうと思います。

スピリチュアル系のモノゴトは、「大人にもわかりやすい不思議」

理解と納得と収斂を繰り返しながら成長し、尚且つさまざまなモノゴトに慣れている大人は、ちょっとやそっとじゃ「やべぇこれめっちゃ不思議!!面白い!!」とはなりません。
よちよち歩きでやっと外に出た子どもが道端の猫を見たときに感じる衝撃と、幾度となく外で猫を見かけた経験のある大人が感じる衝撃では雲泥の差があるのは想像に難くないですね。

で、スピリチュアル系のモノゴトはそんな大人たちにもわかりやすい「不思議」なんですよ。
だって、大体のモノゴトが「意識しないと触れない領域にある」じゃない?

これって別にスピリチュアル系に限らなくて、あらゆる「日常からちょっと手を伸ばさないと届かない分野」って全部そうなんだよね。
科学とか文学とか数学とかスポーツとか芸術鑑賞とか創作活動とか、本当に何でもいいんだけど……どこに興味が向くか、は人によってそれぞれである。

でもってそれらが何であれ、追求していくのがいわゆる趣味であったり生業だったり、そういう「積極的にエネルギーを捧げ得るもの」になる。

趣味がない・興味が湧かない、ということ

まず考えられるのは、興味のスイッチを押すエネルギーが不足している状態。
何らかの要因……生活環境がハードだとか、健康状態が良くないとか、金銭的な不安でいっぱいだとか、激務だとか、そういうのに阻害されて余裕がないと、どうしても趣味や興味に向けるエネルギーが不足してしまいますな。
私も激務にまみれた時代があったのでわかりますが、エネルギー不足だと本当にただ「毎日をこなすだけ」になっちゃうのよね。

もうね、そういう時はひたすら余裕を持てるように行動するしかない。
行動する……って言ったらまたエネルギーを使うのか!堂々巡りか!ってなりがちだけど、エネルギーを確保・養生するために休むのも行動です。
とはいえ本当にヤバイ時は休むことすらできなくなるんだけどね……。

あともうひとつは、興味のスイッチが錆びついている状態。
これも根深い話で、例えば育ってきた環境や周囲からの影響で抑圧され続けた結果そうなった、とか。いろいろ考えられることはある。

それ以外にもいろいろありますが、とにかくこういう状態の場合は然るべき知識・経験を持った人に然るべき手助けをしてもらいつつ、まずは感性を思い出す土台づくりから必要なのではと思います。
でもってその然るべき知識・経験をももねこは持っていないので、「そう考えている」ということだけ記しておくね。

すべてを対象に“不思議を発見する感覚”を意図的に使ってみる

「モノゴトを楽しむ余裕はある、むしろ楽しみたい、不思議なこと大好き!スピリチュアル系のモノゴトを活用したい!!……だけど、チャネリングとかリーディングはなかなか……」という状態の場合は、興味スイッチは入っているものの、その先にある刺激をうまく受け止められていないのではないでしょうか。
“不思議を発見する感覚”が、ちょっと鈍っている状態。

「不思議を見つけなきゃ、不思議を感じなきゃ、不思議を受け取らなきゃ!」っていう気持ちに頭が支配されると、その意気込みと反比例して不思議を見つけづらい状態になります。
意識をしすぎて「受け取らなきゃ!」の方にエネルギーが向いてしまうのですなー!それってちょっと、本末転倒感ある。

そういう場合は、「何でも観察するごっこ」を試してみてほしいです。
何でもいいので、目の前にあるものを10分くらい観察してみましょう。毎日やるんやで。

例えば、今私の目の前にはお茶のペットボトルがありますが、そこに「ギリシャの知恵から」と書いてあります。
ん?ギリシャ?何で??という疑問を持ちつつボトルを観察してみると、「ギリシャの家庭では体調や気分に合わせてハーブを選び、活用する」という旨が記載されているのを発見します。
で、そこからさらに読み込んで「ローズマリーって何だろう!調べてみよう!」となって、Google検索を開く訳です。

はたまた例えば、今私の耳には、たくさんの音が聴こえます。
中でも、いたちのたまちゃんがごはんを食べるカリカリという音が気になります。
お腹はあまり空いていないようで、カリ、カリ、と一口ずつゆっくりと食べているようです。
さっきまで気持ち良さそうに眠っていたから、まだ寝ぼけているのかもしれません。
時々吐息が漏れる音も聴こえます。
恐らくもうすぐ、水を飲む音も聴こえてくるでしょう。
私もおなかが空いてきました。

でもってさらに例えば、今私の手の中にはアメジストのクラスターがあります。
虫眼鏡でひたすら観察します。もうね、いつまででも見ていられるよね。
いろんな質感や色、感触、光の通路、母岩の模様、ぴかぴか、つるつる、うっ……楽しい……!

こんな感じでですね、何でもかんでも観察しまくる時間をちょっとでいいからとってみるの。
最初はピンとこなくても、目の前のものから「刺激を受ける」という感覚が少しずつ磨かれてくると、いわゆる高次の存在からのサインも拾いやすくなると思う!

目の前にあるものはすべて不思議で面白い。

毎日少しでもいいから、すべてに宿る「不思議」を意識していくと、きっとスピリチュアル系のモノゴトもすんなりと飲み込みやすくなるんじゃないかしら。

ミステリー小説のファンが、作者が散りばめる謎に挑戦し続けるように。
ギタリストが、感性を揺るがすフレーズを追求し続けるように。
スピリチュアル系のモノゴトにも刺激を見つけ、楽しみ続ければいいのだと私は思います。
でもってそれらが自分の人生の彩りとなれば、最高じゃないですか。

しつこいようだけれども、○○系と分類なんぞしなくていいんだからね!
目の前にある不思議を“当たり前”として見過ごしてしまっていることに気づいたのなら、今日からちょっと目を凝らしたりちょっと耳を澄ましたりすればいいのだわよ。
私も毎日いろんなことを見過ごしながら生きているけれど、それでもやっぱり一呼吸おいて周りに感覚を向けると、たくさんの不思議に心が動く。だからお散歩が好きなんだ。

余談

この間、ルミKheちゃんが口にした一言が素敵だったので記しておきますね。

「神様や天使(その他諸々)は、誰かのために存在しているわけじゃない。」

ここからは私の解釈が混ざりますが、いわゆる高次の存在は誰かの特別になるために存在しているわけでも、ましてや誰かを特別にするために存在しているわけでもない、と。
メッセージやサインを受け取る側が特別感や優越感を得ると、それは一転してエゴになっちゃうよと。
そういうことを改めて考えました。

いや、エゴでもいいんですけどね。
それで自信がついたり、何かのやる気に繋がるとか、そういうこともあると思うから。
ただねー……ただ、そういう「○○と繋がれる私すごい」的なフィルターがかかった状態で他の人に干渉しちゃうのはね、どうかと思うのだよなぁ。

この間、占星術の先生が講座で言ってた。
占いを当ててやろうという下心がリーディングの邪魔をする。的なこと。

「○○と繋がれる私はすごい(とクライアントに思われたい)」という下心はね、結果的に心の弱いお客さんを操ったり、派閥つくって争ったり、何かしらそういう「人の業」みたいなものに興味がシフトして、最初に感じていたワクワクドキドキからは離れていってしまうんじゃないかしら。
意識的にも無意識的も……。

いや、興味が移ってもいいんですけどね。
それで自信がついたり、何かのやる気に繋がるとか、そういうことも(以下略)。

まぁそういうわけですので、目の前にあるものは皆等しく不思議で面白いのです。
そこに優劣はござんせん。
私はそういう「目の前にあるものはすべて不思議で面白い」っていう感性をしっかりと味わいながら生きていきたいなと、そう思うのでした。

余談その2:「センス・オブ・ワンダー」を読んだ感想

(2016.10.09 追記)

カフェでこの記事を書き終え投稿予約ボタンを押した瞬間「あっやっぱりもう一回きちんと読みたい!」と思ったので、その足で蔦屋書店に行って購入してまいりました。
レイチェル・カーソン著「センス・オブ・ワンダー」!
昨晩やっとゆっくり読めましたので、ちょっとした感想をば。

センス・オブ・ワンダー

読み終えたとき、世界はこんなにも美しく豊かで、幸せの欠片と生命の力に溢れているんだよーーー!という想いでいっぱいになりました。

登場人物であるロジャー少年が、雨を吸い込んでふかふかになった苔に大興奮するシーンがあるのですが、私はそこの描写が昔読んだときから本当に好きでねぇ……。
晴れの日は乾燥してもろもろでひそやかにしている苔が、雨を吸うとふかふかのじゅうたんになるんですよ。
私も昔、本当に子どもだった頃、苔が雨を吸って生き返る(あの頃は生き返るのだと思っていた)姿が好きで、おばーちゃんちの庭の岩をずーっと眺めていたのを思い出して、ロジャー少年と一緒に大興奮しました。

レイチェル・カーソン女史の瑞々しく叙情的な文章で、不思議はこんなにも身近なところにこんなにもたくさんあるんだということ、そしてそれらに気づくためのヒントがたーーーくさん!描かれています。
もうな、みんな虫眼鏡もってお散歩しよう。ほんまに。

私たちの生活上で考えても、まっすぐに窓をつたう雨のしずくや、その辺にいる小さな虫、夏の終わりにふと見上げた樹の枝に点々とついている蝉の抜け殻とか、落ち葉を踏んだ感触とか、道端に落ちている銀杏の実とかその匂いとか、日没後、地平線に太陽が沈んで光だけ取り残された薄明るい時間帯の、影がなくなるあの時間帯(マジックアワーでググってくれ)とか、早朝の太陽が出る直前のすべてが青みがかる時間帯とか(ブルーアワーでググってくれ)、もう枯れてしまったかと思ったけれど捨てるのも忍びないしとベランダのプランターに置いた観葉植物から出た新しい芽とか、どんどん土へ還っていくガーベラの花びらとか、カラスたちの会話とか犬の遠吠えとか猫の視線とか、いくらでも不思議なことわくわくすることはあるんだよーーー!って。
そういう気持ちが、喜びがどんどん溢れてくる本です。

もっと大きな写真を載せてほしかった、ってところだけが残念ですが、それはまた実際に自然と触れ合ったり不思議と遊んだりしたときに自分の目で見ることとします。

文字組はゆったりめでページ数もそんなにないので、気構えずに読めますよ。
それよりも想像力と五感をめいっぱい働かせることを楽しんでほしいです。
イメージをたっぷり膨らませながら読んでみてね!