『せんすであそぼ vol.2 ~先生へ贈る心の旅~』やってきました!

ワークショップをやってきました。
『せんすであそぼ vol.2 ~先生へ贈る心の旅~』です。

先日まで『高校の先生』だったせんすちゃんから聞いたお話

これから先の10年間くらいで、日本中がうわーーーっと変わるらしい。というのはいろいろなところで聞くことではあるけれど、特に教育の形態がごろっ!と変わるんだって。
大学入試だけでいっても、センター試験がなくなって、AO入試が格段に増えて……とみんなが一律で頑張る試験のウェイトがめちゃくちゃ低くなるらしい。
センター試験を受けたことがない私(AO入試でめっちゃ早く受かっちゃったんだよね)としてはあんまり実感が沸かないんだけれど、ただわかることは“今までの枠組み”と“その上での常識・セオリー”がどんどん利かなくなっちゃって、“自分自身での判断と決断”を求められる場面が格段に増えるだろう、ということだった。

なるほどなるほど。
確かに、これまで頼りにしていたセオリーやルール、慣習めいたものが変化するとなったら、振り回されますわな。
「今まではこういうフローで進めればうまくいっていたのに……」なんてことが十二分にありえますわな。

変化に振り回されちゃうってどういうことなのか

せんすちゃんの話を聞いて私が最初に思ったのは、ルールやフローの形骸化と、形骸化に対する先生方の意識に各々の差がありそうだなぁということだった。
でもって、このワークショップの説明文に惹かれてきてくださる方は、ごく自然に形骸化への疑問と危機感を持っているのだろうなぁと。
平たく言うと「ルールやフローを遵守することにちょっぴり抵抗がある先生」です(不良先生ってことじゃないよ!!)。

他人が定めた「○○として△△は~~べき」みたいなものをすんなり受け容れられる人は、そもそもルールやフローの変更に危機感を抱きにくいと思う。
それって、組織で生きていく以上、誰かが必ず「○○として△△は~~べき」みたいなものを設定してくれることを知っているから、です。

実際、大きく世の中の仕組みが変わったとして、そこにマニュアルやルールやフローが出現しないわけがないです。
ただそれらがうまく機能するかどうかは別で、もちろんそうなるまでには時間も労力も莫大にかかるし、機能するまでの間は皆が試行錯誤したらいいんです。

その「試行錯誤」がクセモノなのよね。
その段階で試行錯誤にがっっっつり向き合ってつまずいて転んで挫折するのって、誰かの「~~べき」に浸りきれない人だと思います。

そういう人たちは外界の変化の波に飲まれやすい。
外界がどんなに変化しても頼るべき何かが自身の内側にあれば、ここぞというときに踏ん張れる。

よっしゃ!探しに行くぞ!自分の内側に!!

というわけで、『せんすであそぼ vol.2 ~先生へ贈る心の旅~』を開催しました。

うっかり写真がないよ!!!!!笑

ワークのテキストは僭越ながらワタクシが作らせていただきまして、ひたすら自分のことを考える1時間、それを経たあとは「自分が一番自然でいられる状態」と「一番無理をしている状態」と「自然でいられる状態に戻すためのアプローチ」が文章として認識できるように構成しました。

内容はざっくり言うと自分の行いを羅列して分類して傾向を見てペルソナ化した上で対策を探る、という流れです。
普段私が本業でやっているペルソナ設計やらターゲット設定やら何やらの手法をベースに作りました。
ワークだけで見ると1時間というコンパクト感ながら、そこそこええ感じにできたのでは!?なんてね。へへ。

単純に、自分の言葉や行動を書き出して客観視する機会ってあんまりないと思います。
それを分類して傾向を見て擬似的な人格化する、って機会は尚更ないんじゃないかな?
それだけでも結構たくさんの発見があるのだよ。

もちろん、書き出しや分類に迷ったら私がナビゲートいたします。
こういう風に考えてみてくださいね、とそっとヒントをお出しする形で。

『軸』に近い状態と遠い状態を知っておくということ

先日記事にしました『軸』に関連するお話は、このワークショップのテキストを作るにあたっての前哨戦みたいなものでした。

20170329記事:『軸』と『スタンス』のお話

上記記事内で書いたとおり、『軸』とは『スタンス』の基準となるものだと私は解釈しています。
あらゆる場面で自分はどう振舞うか?の基準となるものです。
基準さえ自覚していれば、多少周りがガサガサしようが惑わせるようなことをしてこようが、自分自身でどう動くかを決められるはずよね。

めちゃくちゃ平たく言うと、『軸』に近い状態っていうのは“自然で楽な状態”。
もうちょっと言うと、“自然で楽に自分らしさを保っていられる状態”。

で、多くの方が嫌ってほど経験しているように、疲れたり余裕がなくなったりすると『軸』からどんどん遠のいてしまいます。
疲れて余裕がないから周囲の環境や人に振り回され影響され、どんどん不自然でしんどい状態へと近づいていく。やりたくないことをやってしまったり、言いたくないことを言ってしまったり、もはや何もかも我慢して封じ込めてしまったり……無理をたくさんしてしまう、そんな状態になる。

ってことで。

  • 『軸』に近い状態・遠い状態を意識する
  • 自分へのアプローチ方を知って、遠のきかけた自分を引き戻す

というイメージを、テキストを用いて引き出せるようにしたわけです。

これは私の感想なのだけれど、ワークを進めるごとに不思議と自分が可愛く見えてくる。
あーすごい馬鹿だなぁとかすごい嫌なやつだなぁと思うことすら、その反面にある弱さや幼さが浮き彫りになって「何か、私、可愛いな?」と思えるのだ。

こう思えたら、いつものペースから外れている自分に対しても冷静な目で対応ができるのではなかろうか。
いつもより攻撃的な自分、いつもより逃げ腰な自分、いつもより暴走気味な自分、いつもより怠惰な自分……おいおいちょっと待ちな、あんた疲れてるよ!って労わった上で自分自身をニュートラルな状態に戻してあげられるのではなかろうか。

得意不得意・好き嫌いは『軸』に沿って活用する“ツール”

実際にワークショップをやってみると、予想どおりと言ってはナンですがやはり皆さま得手不得手や好き嫌いは要素として挙がってきませんでした。
例えば、「私は文章を書くのが得意だから文章を書く仕事がしたい!これが『軸』だ!」とはならなかったのです。

おかげさまで、今回のワークを通して「得手不得手」「好き嫌い」といったものは『軸』そのものや構成する要素ではなく、『軸』に沿って活用する“ツール”だという考え方を提示できたのでは?と思います。

この考え方があるとぐぐぐ!と視野が広がるし、選択肢も増える。
何よりも得手不得手・好き嫌いに依存するのではなくそれらを活用するようになる。
この辺のニュアンスは文章で伝えるのはなかなか骨が折れるので端折るけれど、でもきっとみんな心のどこかでわかっていること、なのだよね。
そいつを思い出して/再確認していただくための、ワークだったのでした。

まとめ、せんすちゃんのお話(ももねこ超意訳ver.)

こんな風に自分のことを掘り下げて、ワークをする前よりもちょびっと視界が開けたタイミングで、せんすちゃんからもう一回、“先生”視点での濃いお話をいただいたのでした。

ももねこ的に超意訳すると。

お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんそのまた親そのまた祖父母……と辿っていって、何千人何万人ものいのちを受け継いできているのだから、「何も持っていない」なんて在り得ないのだ、と。
そして、これから先、一番先の未来を見るのは大人より子どもたち。子どもたちの子どもたち、もっと先の……。

我々だってわからない未来のその先を、子どもたちは見るのだ。
そしてその子どもたちは、もっともっと未来を見る。

だからね。
「何かを持って生まれてきている」子どもたちの、「何か」さえまだまだ未知数な子どもたちの、我々が見ることの叶わない未来までも担う子どもたちの、「何かを成したい!」という意志に、我々から否定なんて浴びせられないのだ。

でもって、その子どもたちはイコール私たちでもある。
何かを持って生まれてきた、誰も知らない未来を見る私たちも、否定ではなく「じゃあどうやって叶えよう?」をベースに生きていけばそれでいいのだ。

単純明快、シンプルでとっても良いですね!
もうそれしかないんだってば。できない理由じゃなくてできる方法を考えろーー!って、会社でも耳にたこができるくらい言われ続けてきましたが、超絶シンプルに、そういうことなのだなぁ。

せんすであそぼ、まだまだ続く。

第3弾もやりまっせ!まだ何も決まっていませんが!5月予定、です。
せんすちゃんのサイト『せんすおぶわんだぁ』にてお知らせしていただきますので随時チェックよろしくだよっ!もちろんここでもするよっ!!

▼せんすちゃんのサイト。
せんすおぶわんだぁ

そうそう、せんすちゃんが『大人のための世界史講座』も開講するみたいだよ!(まだサイトでは案内されてないけど)
こちらもご興味が向きましたら是非!!
私も行きます。