「点」だけを良く見ても「点」なだけ

徐にこのブログ(PC版)のデザインを変更してみました。
もともと、テンプレートを選んだだけのものを使用していたので、文字が小さいなぁとか行間狭いなぁという、気になっていた文字の事含め全体的に変えてみました。テーマは「それっぽい感じ」です。よろしくお願いします。まだ直したいとこあるのでちょいちょい変えていきます。

今回、大した事はしていないのですが、意外と時間がかかってしまいました。タグをいじるの久しぶりだし。
ちょっとした文字色ですら何色にするか結構迷ってしまい…ちょっとだけ変えようと思ったので、脈略無く色変えようとしてみたものの中々腑に落ちないという事になりまして。デザインとして当たり前の事ですが、ベースのイメージを考えずにパーツで考えるとそうなりますね。あたり前ですけど。全体のイメージ決めて、メインとなる画像作って、見出し画像作ったら自ずと細かい部分っていうのは周りとの統制で決まっていきますから。

デッサンとかもそうで全体的な像を描いてから細かい部分を描きこんでいくわけで、端からごりごり描いていったら思ってた形に描けなかったりします。全体像をぼんやりかいて細かく描きこんでいくスタイルですね。

日常生活の思考においてもきっとそうで、細かい事って決めたい!先に決めちゃいたい!だがしかし全体像を把握しないと決めるのが難しかったりすぐに覆ったりしちゃいます。だから、なんか決められないな~~~っと思ったら全体の事を考えてみたほうが良いんでしょうね。先端の面白いことに目がくらみがちなので落ち着きたい今日この頃です。

何かの選択肢にあった時でもそこばかりを見ちゃうとチョイスする為の要因が少なすぎて納得する選択が出来なかったりって事があります。自分を後から納得させるとして「どっちか選べっていわれたから仕方がない」みたいな感じになります。ただ、その選択肢がどこから生まれてきたものかっていうのを知っていると、その背景を考えたチョイスをすることで、こういう要因があるのでこっちを選んだぞ!っていう納得感が出たりしますよね。

つまりは「全体を知ろうとする事」が大切なんじゃないかってね。全体って何なのって思うと全体はたぶん無限なので無理だと思います。でも、少しでも広く考える・考えたいって思う事で広がると思うんです。これって、認めたり許せたりしないとダメですね。広い存在を許せないと、存在として捉えられないからね。まずそういう器がないとダメですね。だからそういう風になりたいというイメージは昔から凄く強くあります。頭ごなしな人とか凄く苦手ですからね。受け入れないとそこまでですし。ジャッジはそれからだ。

自分の事もそうで、認めないと広がらないからね、良いとこも悪いとこも。認めてはじめて自分の一部にすることができるから。多分、自分すらも無限なので完全に自分を知る事って無いと思うんですよ。でも結構最近は知りたいね。自分のこと、大いに興味ある。天命の時にも結構かきましたが自分の軸をどう思うかで、派生する行動は自ずと決まっていきますからね。迷いがなくなるっていう。

あ、あとね今日接骨院で先生と話してて思ったのですが、腰が痛いといっても腰ばかり指圧するのではなくそこに繋がる足や背中を指圧したりすると腰が軽くなったりするんですよ。なんやったら内臓の病気を治したら腰の凝りがなくなった事もあるようです。腰の悪いおばあさんの治療で、手に針をしたりもするそうですよ。なんていうかねやっぱり当たり前だけど全体はつながってるんですよね。

他の事やってる時に置いといた他の問題のヒントになる事もあるし…だからね変に一点ばっかり考えなくても数珠つなぎで進んでいく事ってあるからほんとそういう現象って面白いなって思います。良いことも悪いこともつながっていくんですよね。

別に幅広い知識が欲しいわけでも、何でも許せる人になりたい訳でもないのですが、「全体を感じる」っていうのはかなり私の中でキーな気がしてます。それを広げられたら、いろんな事が結構どうでもよくなりそうですけどね!HAHAHA!

なんだか凄くとりとめない感じですが終わっとこう。以上。