スピリチュアルとは何だ。そもそも。

そう。そもそも、そもそも、スピリチュアルとは何だ。
スピリチュアルって聞いたイメージ……何でしょう。パワースポット、霊的、占い、予知、パワーストーン、精神、宗教、魔術……色々あるけどそんな感じですかね。怪しい。実に怪しい感じ。何故怪しく感じるのか、きっと目に見えないもの・根拠が感じにくいものであり、それを信用するって何なの?おかしいんじゃないのっていうイメージはあるよね。ただ、見えないものだからこそ面白そうっていう気持ち。何となくだけど確かに、存在に期待する気持ちってあるよね。これって何だろうやはり備わっているものなのか。

ということでとりあえず「スピリチュアル」という単語について調べてみました。

スピリチュアル (現代日本):現代の日本では「スピリチュアリティ」(霊性)と「スピリチュアリズム」(心霊主義)を柱とする物事を広く指す。この意味でのスピリチュアルは「精神世界」を概ね受けついだ言葉で、精神世界は、1970年代以降ブームとなったアメリカの対抗文化「ニューエイジ」における思想の多くの部分を含む日本のジャンルである。

ウィキぺディアにはこうありましたが。英語でのスピリチュアルは「キリスト教」に関係するイメージですが、日本でのスピリチュアルってものに感じたイメージでは、凄く「ブーム」であり「ビジネス」のイメージが私は強いですね。ジャンルとしてオリジナルに育つっていうのは日本は得意。というかそうなりがちで、非常に面白いところではあるし面白がってます。ブームになっているのだからこの時代に必要とされているんですよね。ただ、私も片足つっこんでるような顔しつつも、あーーんまり個人的にイメージするどっぷりスピリチュアルみたいな、そういう渦中に居ないので、そういう方々とたくさん交流して無い事もあり(してみたいです!)意外とどういう感じなのだろう。何となくだけど世の中のブームっぽいものと自分の求めているものとの差異があるのか無いのか!!!

軽率かもしれないけど例えば。スピリチュアルに急に目覚めて、「愛のある存在」だとか「天使様がいつも見守っている」だとか「癒しの存在」ってな単語を整然と発されたらちょっとビビるよね。コワって。そう、怖さを感じる。何で怖いのか………。簡単にいうと意志を感じないからでその人とマッチングしてないからだと思う。えっ洗脳されてる?みたいな。多分言ってる事に酔ってるか、委ねすぎてる?思う事・願う事・信じる事は大切だと思います。それは力になる!ただ、自分を失って委ねてる感じ?何なら全てをそのせいにする事で楽になろうとしているように感じられる時。言い方が難しいが…それを感じると私は怖さを感じてしまったりします。癒しとは。みたいな。
しかーし。これが不思議なもんでマッチしてる人から聞くと、あぁそうなんだって思える事もあるんだよね。何だろうねそれを想うことで強くいられて、生命力を感じる人。選ばれてるんじゃない。選んでる。そういう雰囲気のある人ね。

話が飛びますが、そういやこの間近所の美味しすぎる焼き鶏屋でフランス人のエネルギッシュなお姉さんと友達になりました。焼酎片手に熱いお話しをしてたのですが、その方からよく発された単語が「スピリット」。その方は今までの色々な体験・経験しながら、今自分が何をするべきだと思っているかを語ってくれました。魂の熱さのままに過ごされてきて、これからも確実にパワフルに進まれる。そんな印象の方。そんなお姉さんからエールをもらい、かなりエネルギーが沸いてきました。自分のスピリットのままに生きている人ってこんなに豊かでチャーミング、魅力的でパワーをを与える存在だという事を改めて感じましたね。他のお客さんがいなくなるまで語らっておりました。しかし元気になった。そこで思ったわけですよ。やっぱSpirit(魂・精神・気迫・意気・気質・心持)だ!と。それで生きるって事だと。

という事でブームのスピリチュアルの事はよくわかってませんが、自分の中でのスピリチュアルは「自分の魂と向き合う事」「魂のままに生きる事」そういう行為だという事に決定しましょう。意志が強く感じれる人・パワーを感じる人ってそうですね。というかみんなそう生きていくのだと思いますけどね。その中で迷ったり探したり奮闘して葛藤となったりしているはず。だからこそ余計に、ブームとなっているスピリチュアル的なものに身を委ねすぎてその葛藤をなすりつけてスピリットを感じれなくなっているような人の気配を感じると怖くなるのだと思います。私が思う本来魂を燃やす為の行為の逆へいってしまっているから。うん。自分で納得してきた。

別にブーム的な流れを否定しているわけではありません。この通り私もすっかり存在してます。オラクルカードに元気をもらい、パワースポットで癒され、パワーストーンをつけたりもしています。オラクルカードやタロットを使うのも、出たものに責任をなすりつける事で責任放棄して楽になる為ではなく、自分と対話する為・自分が強くなる為です。そして、自分にとって気持ち良い場所は誰がなんと言おうとそこは私にとってのパワースポットであり、本来の効果がどうであれ 格好良くて奇麗だと感じる石は私にとってパワーストーン。説明書や事前情報を信じる力もパワーへ繋がると思いますが、もっと自由に楽しんでしまってよいと思ってます。私も、もっともっと自由に・オリジナルに楽しんでスピリットに向かっていきたいと思ってます。静かすぎるぞわたし!

私は、以前うけた天命のワークで自分のスピリットがどこへ向かいたいか、そしてそれがあることを少しづつ感じれてきた訳ですが、見えないけど確かにあるスピリットを知る。それを見つめるための行動それは別に何だって良いんです。好きな事・気持ちのよい事が魂に繋がるんです。だから、スピリチュアルっていうのはあるとかないとかではなく、魂に向かい・生きる事。だ!でいきます。

このブログもそうですが、私のコピーとして「スピリチュアルデザイナー」と記載しています。「デザイナー」としているのは、もちろん職業でデザイナーだからというのもあるのですが職業的なデザインという意味ではなく全体的な意味でつけてます。「デザインする」という事は生活を良くすること。人生を良くする事だと思ってます。だから住みよいように片づけて掃除するのもデザイン。どういう道順でスムーズに目的地に行くか考えるのもデザイン。誰かへのプレゼントを考えるのもデザイン。ちょっとゴミ箱を置くのにも自分が捨てやすいように、そして人の邪魔にならないようにって考えるでしょ?これがデザイン。空間や導線・生活をデザインしています。みんな日々デザインしているんです。便利さや喜びを創るのが良いデザイン。機能が優れているのは勿論良いデザインですが、面白いだけのものだってそれは楽しさを与えてくれる良いデザインだと思います。
デザインの根元は自分も含めて、人々の問題を解決することにあると思ってます。解決しようとする力が生み出すんですよね。その力が私は好きだ。まあデザインが生活の問題や悩みを解決するなら、スピリチュアル的行為は精神の問題や悩みを解決してくれるものか。そうですね。そしてそれは密接につながっているんですね。ここの部分また深く考えたくなってきました。。。。ちょっとまた考えたら進むかもしれませんが、とりあえず今の考えとしてデザインは、「生活を創る・人生をつくる」こと。そしてスピリチュアルは「魂と向き合い魂のままに生きる」こと。「スピリチュアルデザイナー」イコール「魂を燃やす人生を創造する」どうでしょう。やばいな…こうなってくるとこの語句が格好良すぎてきましたね。やめようかな。とりあえずやめねーけど。

スピリチュアルは「Sprit」天界。デザインは「LIFE」地上。魂を感じて人生として創りたい。デザインであれ占いであれ、他の人のそれに関わる事、それはやりがいのある事です。今は手段が少ししか無いけどもっともっと自由でオリジナルな発想をしていきたいものです。そこに私のヒントがあるかもしれませんね。

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