世界のでかさ

先週末の連休で、わたくし帰省しておりました。その道中で上野の国立科学博物館にふと寄りまして。その時のわたくし事など。
上野は乗り換えとして駅を利用する事はあっても、今まで強いて立ち寄った事がありませんでした。小さい頃に遠足で来た時の思い出くらいしか、すぐには思い出せないような感じで…しかしながら今回は思い立って上野公園を早朝から散歩してみました。皆さま思い思いに過ごされていて良いなぁと思いつつ。ひたすらぼーーっとしているおじさんの多い事よ。そんなところも凄く良いなと感じたしだいです。で、わたくしはそこから野口英世の銅像に挨拶しつつ、国立科学博物館へ入ってみました。記憶の限りでは初めて入ったと思います。いやー凄い広いんですね。案内を見てびっくりしました。日本館で3階、地球館で何階あったっけ!忘れたよ。
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という事でですね。館内は階ごとに、宇宙・地球や生命の歴史が順を追って見られるようになっていまして、はく製や模型も盛りだくさんで迫力があり色々体感できるわけです。科学館は好きですが、全然科学や歴史について詳しいわけでは無いわたくしです。でも、好なのです。なぜなのか。科学館へ行くと宇宙・地球の歴史、生物の誕生進化、今他の場所で生きているものたち。現在普通に過ごしていて目の前には現れないけど、どうやら存在していて確かに今をつくりあげてきた事達がある。そういうのをバーーーーンと感じるのが好きなんです。細かい、何年に何がどうしたっていう事を勉強するのが好きというよりかは、その世界の大きさや続いてきたという奥行き、そういう大きいものを感じるのが好きなようです。自分がひとつの生物。一個体。として感じられる状態。そういう事を思い出させてくれ事が私には必要だと感じられるんですよね。この感覚ってわたしなりの瞑想って事なのかもしれません。色々なものがリセットされるような、何かに戻るような感じがあります。
この世界は本当に様々な生物が誕生して進化し、滅んだりもしつつ、ずっと様子を変えて続いてきた。今目の前にあるものはそうして存在していて、それを考えると本当に不思議で面白くなってくる。この世は不思議だけど存在している。もう何が起きるのか何がいるのかんてわかんねー!この不思議な世界のその中で私はこの形で生まれてきて、こんな風に感情・感覚が持てる状態にある。何かそれだけですげーなって。何かスッキリしたわけです。この感覚を大事に、自分として生きていこうって。感覚って凄く自由でそれでいて自分なんだなって。どうにも言葉にすると難しいけど。人間として、自分として楽しめる事・感動出来る事・気持ち良い事をしたいと素直に思ったわけです。すんごい単純そうな事だけど、その中で感じられるふとした感覚を思いっきり楽しみたいんだよね。
凄く良い風がふいてこの状況が凄く気持ちよく感じられる瞬間がある。それだけで凄く感動的で泣きそうになる事だってある。その感覚それ。何なんだよって思うけどそれ。感覚は人それぞれ違うかもしれないし、もしかしたら一緒かもしれない。それは分かり得ない事だけど、みんなの感動・楽しさが一体化したって感じられる時ってあるじゃない。私はその瞬間が凄い好き。感激よ。いつか終わる命の中で、そんな感覚を沢山味わいたいって思っているのよ。何故かここが普段の生活で何かにおわれてたり、まみれたりしているうちに、ぼんやりしちゃったりするんですよね。悲しいがな。それで疲れちゃうんだよ。

私たちは常に何かしらの枠の中で生きているのではと思います。枠といっていいかわかりませんが、この世だからあるもの、今の風習としてある枠組み、社会の大きなルールの中、学校、会社、友達のグループの中、もしかしたら自分でも作っているでも。枠の中からその枠をみると、とても窮屈で(それすら感じない事もあるかも)、その中にいる事が当たり前であったり、そこに上手くいないといけないような危機感すら持ってしまう事もあるのでは?でも、もっと大きなところから、宇宙規模・地球規模・人類規模、大きな目線でその枠の外側からみたら、その枠がどんなものなのか見えるのではないでしょうか。枠じゃなかった!とかね。枠の為にする事をしなくても良いのではないか、ここの中にたまたまいるだけ…とか。普通に、ああそこにいるなっていう確認。無理にその中にいようとしなくてもいいという事にもなります。別にわざわざはみ出ろっていうんじゃなくて、何もないよっていう感覚。しなくちゃいけない事なんて何もない。結構なんでも良いんだよね。大丈夫ってことよ。まじで。自分が自分である限り自分だから!結局。だから自分が感じられる事に集中して走りきっちゃってよいのではないかとね。

自分があると思えばそれはあるし、無いと思えばそれはないものになる。世界は自分であり、世界は広い。中にあるようで外に広がっているのかもしれない。知らないところも沢山あるだろう。無理に何もかも信じる必要はない信じられるなら信じればいい、信じようと意志が働かなくても、あると思えるものはそこにあるだろうから。信じる信じないなんて感覚もう捨てちまおう。わざわざする事なんて何もない。あるものを自分の感覚で。

最近のわたくしが、「感じられる事・感動出来る事が凄いんだ、みんなもう持っているオリジナルのその感覚が凄いんだ」とブツブツとブログにも書いていましたが、ここに来てのまたその感覚について想いを巡らす事に。そしてガツンと体感させられた感じ。来るべくしてここへ来たのかなと。そう思える寄り道でした。

もっと素っ裸な感覚でうろつこうとおもいます

自分がウゴウゴ思った事を徒然なるままに。まますぎた感じでおおくりいたしました。

このウゴウゴをももねこちゃんに話していたら凄く納得していただき…リーディングやスピリチュアルという事にも絡めて素敵におまとめされた記事をあげております。こちら。