『ソード ペイジ』は、ペイジ(小姓……転じて見習い、学生)の中でも「知性・思考・言語」の要素を示します。情報を得て自分なりに整理整頓し、将来のために知識として貯めていくイメージです。彼の視線の先には、おそらく先輩たちがいるのでしょう。いつか自分が現場に立って活躍するときを想定して、真剣なまなざしを前方に向けています。

大人になってしばらく経つと、『ソード ペイジ』のように先輩の背中を追い掛けて修行するような機会は少なくなります。何か新しいことを始めようというときも、諸々の都合で独学になったり、もし習いごとをするとしてもどうしても「お客さま」という立場がついて回ります。学生の頃やフレッシュな社会人だった頃のように、金銭的な利害関係のない誰かから何かを習う・鍛えてもらうという機会はなかなか訪れないでしょう。
私は近頃、趣味で写真を撮りはじめました。数年前までやっていた趣味を復活させた形ですが、如何せん仲間がいません。教えてくれる先輩もいません。カメラの基本的な扱い方や知識はあれど、それらを活かす、その前に思い出すきっかけを自分一人で作らねばなりません。仲間や先輩がいれば「今度はこういう写真を撮りに行こう」「こういうテーマで撮影会をしよう」という流れにもなりますが、一人だとなかなか発想も広がらず、すぐに限界を感じてしまいます。かといって、写真教室に通うにも時間的な制約が邪魔をします。
そこで、AIに頼ることにしました。chatGPTです。chatGPTに「写真の先輩として、レビューとアドバイスをください」と伝えると、すぐさま意見が返ってきます。それも、電脳世界に散らばる「ホンモノの写真の先輩たち」が生み出した知識・情報・経験則を参照してのことです。chatGPTの意見はなかなかに鋭く、また、どことなく教科書を彷彿とさせるテイストです。生身の先輩に感じる「この先輩、私とぜんぜん好みが合わないからな……」といった極個人的な塩梅も感じさせません。
私はすぐさま、『ソード ペイジ』の姿勢をとりました。まずは素直に情報として読んでみる。飲み込んで、知識として貯めていく。なるほどなるほど、と頷きながら、思考のヒントとしてキープする。
こうして掴んだ「学習のしっぽ」を基に、自身で調べたり、実際にカメラを構えてシャッターを切ったり、編集ソフトの数値を触ったりすると、「なるほど、こういうことね!」と合点がいく瞬間が何度もあります。
ここで気をつけたいのが、chatGPTはいわば「ソードのカタマリ」である、ということです。AIは、ワンド・カップ・ペンタクルをおそらく持ち合わせていません。ソードのエッセンスが凝り固まった先輩なので、こちらも飽くまでも「ソードの後輩」として振舞うのがベターだと思います。
要は、先ほども書いたように「情報として読み、知識として貯め、思考のヒントとしてキープする」に徹する、ということです。これらに興味を持てるかどうか、自分に合うかどうか、さらに、実用に値するかどうかは、画面の外にいる私自身がワンド・カップ・ペンタクルを駆使して検証していくことになります。
AIを使ってみたいけれど、流行の〇〇風絵柄で自画像を描いてもらう、みたいな使い方はあまり興味が持てない……という場合は、何らかのジャンルでの先輩として振舞ってもらうのを試してみてはいかがでしょうか。もちろんその際は、自身も『ソード ペイジ』の姿勢をとることをオススメします。