ミスティック絵物語(サイキックアート+お伽話)の事例と感想を紹介!Wさんの場合

今回はWさんからご依頼いただいて作成した「ミスティック絵物語」の内容といただいた感想を紹介させていただきます。
毎回、どんな内容になるのかハラハラしながら作成させていただいております。
今回はどんな感じかなーーー??

Wさんに所縁のある不思議な存在のサイキックアート(自動書記)作成!

まずは、今回のご依頼主Wさんに向けてのサイキックアートを作成させていただきました。
Aさんにメッセージのある人、所縁のある人出てきてくださいませ…。

サイキックアート

おおっと!ちょっとびっくりしますね。
これはこれは修行している方?!
強い意志が感じられそうですね。
とても真面目な印象。
そして、感じ取れたメッセージはこちら。

1つを見つめ 1つに向かうという事
場を忘れ 時を忘れ
その1つに集中する時
向き合っているそのモノと自分がまるで一体化したように
そのモノ自体になったような感覚すら覚える

それで良い 今はその時で良い
何の経過も気にせずただ向き合う
それでこそ成せるものがあるのだ
意識をただひとつに
ひたすらに力を集める
己の外は今は無いものと同じ

自分とそのモノだけで世界とする
1つを想うのだ

そんなメッセージが聞こえてきました。
ひたすらに精神統一しているようなイメージでした。
一つのものと向き合い、自分と向き合っているような感じかな。
厳粛な空気感。

不思議な存在のお伽話

といった人物の登場から、感じた事や聞いた事をももねこ氏がお伽話として記録してくれます。結構なボリュームがありますので、お伽話を一部抜粋してご紹介いします!

燃え盛る炎は、いずれ私をすべて焼き尽くす。
熱と渇きが私を覆い尽くし、同輩が読み続ける経はひとつのうねりとなって、空(くう)になった私の内部を埋め尽くす。
人は皆、魂そのものとなった後、こうして願いと祈りで肉体を満たすのだ。
もっとも、今の私は魂が肉体の中にあるため、願いと祈りだけで満たされることはない。
いつか訪れるその時を迎えるまで、私と私の同輩たちはこの行を繰り返す。
既にその時を迎えた先人たちへ畏敬の念を抱きながら、炎の中で延々と経を詠み続ける。
そして、また生の世界へと戻る。

修行の中での想いが綴られてゆきます。

母はこうも言った。許しという行為は、あなたがあなた自身を縛りつけていることを再確認する行為だ、と。
幼い私は納得できなかった。
自分が抱いてしまった怒りと悲しみを宥めるためには、相手からの謝罪とこちらからの許しがあってこそだと感じていた。
私自身、母に叱られた時は謝罪をして許しを請うた。
母はもちろん私を許し、抱き締めたが、どうやらそれは私が他の誰かに対して行う許しとは違っていたようだった。

だがそれも、今となっては母の真意を伺うことはできない。
これら以外にも、母は私にいくつもの問答を遺してこの世を去った。
おかげさまで私は常にこの世について悩み、考え、想いを馳せることができている。
どんなに些細なことであっても熱を宿らせることができる。
その反対に、大きなことに内包される炎が決して暴れ出さぬよう、風を遮断することもできる。

かつて母から貰った言葉を、今の自分としてかみ砕いていっているようです。

私にはまだまだすべきことがある。
魂がこの肉体を離れ、願いと祈りだけがこの身体を満たすまで、為すべきことが多くある。
この肉体という境界が機能している間に、成すべきことが無数にある。
今、私たちがこうして大空と大地の間に難なく存在できているのは、そこに大空と大地があるからだ。
肉体があり、その内側に魂が納められているからだ。
そしてその魂が不意に抜け出さぬよう、誰かの存在が、言葉が、表情が、愛が、楔となって支え続けてくれるからだ。
そのことを忘れずに生きねばと思う。

大きな生命観の中での自分との闘いとも思えるような内容が切々と綴られ、
最後はこの様な形でまとめられていました。
こんなにも心の内が語られ続ける内容というのも珍しいものです。
それだけこの絵の存在は生命としてどうあるかについて、向き合い続けていたのかもしれませんね。

Wさんからのご感想

このような内容をいWさんにお届けしたところ、早々に感想をいただきました!
その感想が以下になります。

素敵な絵物語をありがとうございました!

最初にデータで拝見したとき、描かれた人物の眼差しに緊張が走ったのと同時に、ああ、やはり僧侶なんだ、と思いました。

外国の僧侶だと予感していたのです。なぜこんなことを言いますかというと、

私はここ数年、毎年、ヒマラヤ周辺のチベット仏教圏を欠かさず旅しているのです。

いずれも太陽の照りつける標高の高い、渇いた山岳地帯にあります。

山肌にへばりつくように建てられたお堂や僧坊で、勤行に励む、あるいは談笑する修行僧たちの姿を遠巻きに眺めています。

毎回、高山病に苦しむことがわかっているにもかかわらず、気がつくと航空券を手配しているのです。笑

お伽話では、「許し」についての段落が胸に突き刺さりました。

一度強い怒りと悲しみを覚えてしまうと、体と心に刻みつけられたように忘れられません。忘れた/許したつもりであっても何度も湧き起こってしまいます。

本当に許せないのは、狭量な、出来の悪い自分自身なのです。許しを理解することは私にとってライフワークなのかもしれません。

不思議で、心踊るような体験をありがとうございました。

という感想をいただきました!
……びっくりしません??びっくりしますよね。我々は超びっくりしました。
何となく外国の山のイメージを持っていたのですが、Wさんからまさかのお話しですよ。
びっくりしすぎて心臓が「おひょっ」ってなりましたよ。
チベット仏教圏を欠かさず旅してらっしゃる方に修行僧お送りしちゃったよ。
こんな事ってあるんですね。

そして「許し」についての向き合われ方が凄くないですか?
「許しを理解することがライフワーク」っていうところに中々到達できないですよ。
いただいた感想のニュアンスが、絵の存在とも重なっちゃいそうです。
何だかびっくりする部分が多くて困惑いたしましたが、Wさんの元にお送り出来て、本当に素敵に受け取っていただけて、良かったなぁと思っております。

大変ありがたい事です。ご依頼誠に誠にありがとうございましたっ!!!!

そして、こんな不思議な体験に興味がある方がいらっしゃれば
こちら↓からどうぞ。

ミスティック絵物語(サイキックアート&リーディング)


どんな絵物語がやってくるかは届くまでのお楽しみ!