『ペンタクル 2』には、ピエロのような恰好をした人物がペンタクルを使って曲芸をしているような姿が描かれています。片足を上げてお手玉のようにペンタクルを扱っており、その背後には大きく揺れる波と大小の船が見えます。これほど大きく上下した波であれば緊迫したシーンのようにも思えますが、カード全体の絵柄はどことなくほのぼのしており、喜劇的な雰囲気を感じます。

私たちは日々「やるべきこと」をこなしながら生きています。炊事・洗濯・掃除・労働、これらは生活そのものです。いつもどおりの暮らしをいつもどおりにこなし、つつがなく日々を送っていくことは、当たり前のように見えてとても繊細なバランスの上に成り立っています。
例えば、風邪を引いて約束を守れなかった。例えば、財布を忘れて遅刻した。例えば、卵を割ってしまっておかずが一品減ってしまった……そんな些細なイレギュラーを包括しながらレギュラーを守っていくことは、当たり前のようにできるようでいて、実際はそうではないのかもしれません。
『ペンタクル 2』に描かれているピエロのような人物も、飄々とした表情で芸を披露しています。普通の人が見ると特殊な曲芸も彼にとってはすっかり慣れたもので、日常そのものになっているのでしょう。
自分自身の生活を見返してみても、同じようなことがたくさんあると思います。例えば私はこれまで文章を書く仕事をそれなりにしてきたので、ちょっとした文章であればパパッとまとめてしまいます。私にとっては普通のことですが、その様子を見て「すごい!」と言ってもらえることもあります。一方、私はこれまでほとんど料理というものをしてこなかったので、包丁の使い方がとにかく下手です。その様子を見て「私がやるわ」と言ってもらえることも多々あります。どうした、私の包丁遣いが怖いか。
相方のタカノはデザイナーなので、SNSに投稿するちょっとした写真なんかもとてもきれいです。私や友人たちはその様子を見て「すごい!」と言いますし、例えば英語をやっている友人がパパッと英文を訳したとき、音楽をやっている友人がパパッと耳コピしたとき、接客業をやっている友人がパパッとおもてなししたとき、心の底から「すごい!」となります。
『ペンタクル 2』が涼しい顔で芸をしている背後では、海が荒れて船が翻弄されています。けれど、転覆したり事故が起きている様子はありません。このカードに描かれているものはみな、「イレギュラーを包括しながらレギュラーを守っている」のです。
これができるようになるには、地味かつ確実な継続が必要です。私たちが生活上で「普通に」できることは、これまでにそういった継続をしてきた結果だと言えます。また、その分野や種類は人それぞれです。
さらに、そのように継続するには「楽しくやることが大切」というイメージもこのカードからは湧いてきます。ピエロのような恰好、おどけたような飄々とした表情、背後の船も色とりどりの明るい雰囲気で、辛く苦しい雰囲気はありません。「コツコツ頑張る」には、その中にある苦労や苦悩も楽しめる姿勢が必要なのだと思います。裏を返せば、他の人は嫌がるけれども自分は平気なことや、トラブルが発生しても解決しようと燃えられること、難題が現れると嬉しくなることが、自分にとっての「プロになれるジャンル」なのかもしれません。