タロットの『カップ 4』が表す要素は、心の動きが一旦停止している状態と言えます。心が凪いでいて平和ではあるものの、どこか退屈そうにも見える様子です。神の手が差し出すカップを受け取れば状況も変わるのでしょうが、そういった素振りはありません。
暮らしの中で、心が動くことだけをするというのはなかなか難しいものです。心とは関係なく、やらなくてはならないことも山ほどあります。しかし、心が優位に立てる場面であればあるほど、まさにこの絵のとおり、「心が動かないと身体も頭も動かない」ということが起きやすくなります。
心が優位に立てる場面というのは、「まったく責任がない場面」もしくは「すべて自分の責任の場面」であることが多いです。
例えば誰かに雇用されていて、業務範囲内で「この作業をやってね」と頼まれたことは心が動かなくてもやらなくてはなりませんし、大方の人がそのようにすると思います。正直、何のためにやる作業なのかがわからなくても、「やらなきゃいけないからやる」という動きになるでしょう。これは上記のどちらでもない「一部の責任を負う場面」です。全体としては会社なり組織なりに責任があり、その一部を自身の役割の範囲内で負う形です。
一方、通りがかった公園で露店が並んでいるとしましょう。興味がわかなければそのまま立ち去るでしょうし、興味がわけば並んでいる品々を眺めることも、さらに面白いものを見つければモノを買うこともできます。もちろん買わずに帰ることもできます。この場合、自分はただの通行人であって、何の責任もありません。
さらに一方、例えば一人で事業をしているとして、「新規顧客を獲得したいけれど、営業活動を面白いと感じないので放っておいた」というのは、かなりリスクのある選択になります。会社や組織であれば、配置換えをお願いするなどの選択肢もありますが、個人事業だとそうはいきません。しかし、この場合はすべて自分の責任なので、「わかっているけれどやらない」という選択ができてしまいます。「いや、そんな選択できへんやろ」と思われるかもしれませんが、できます。できてしまいます。マジで。
『カップ 4』は、シンプルに「心が動かない状態」を表します。それがどういうジャンルで発生するかは関係なく、カップ=心が優位に立てる状態であればあるほど、停滞につながります。停滞しても大丈夫なジャンルであればいいですが、そうでない場合は心を制して頭や身体を動かす必要があるかもしれません。「心が動くタイミングを待つ」「心が動く選択肢が現れるまで待つ」という形もありますが、そうしても大丈夫な状況かどうかを、心(カップ)ではなく頭(ソード)で、現実的(ペンタクル)に判断し、身体(ワンド)を動かしたいですね。