『ソウルメイト』っていう言葉の定義は、ばくっと言うと「生まれる前に学びを約束して生まれてきた魂たち」ということらしい。私はこれを「一生忘れることのできない人」というように解釈している。いい思い出も悪い思い出も関係なく、忘れられない人っていうのは何かしら感じたり考えたり嬉しかったり辛かったりした相手だもんね。
今向き合っている相手がソウルメイトかどうかの確信がほしい、って思ってる人はどうやらたくさんいるみたい。まぁそうでしょうな。webで調べてみたら手の形が似てるとか何かそういう条件も書いてあったけど、うーん、何だろう、そんな目に見える証拠みたいなのに頼らなくても「この関係は濃いな」って思える相手がそうなんじゃないかなと私は思う。
そう、付き合いの深さや長さよりも、濃さ。その人が人生に現れたことで心の奥の深い深いところまで揺さぶられたなら、それは「一生忘れることのできない人」じゃないかしら。何ならその相手とは直接会ったことがなくたっていいくらい。私のところに来てくださるお客さまの中にも、そんな出会いと気づきとそこからの変容に立ち向かっている方がちらほらいらっしゃいます。『ソウルメイト』という概念に固執するでなく、ただひたすら、その相手を通して自分に向き合い続ける人。相手軸でなく、「あの人に出会えたから私は私に向き合えている」と自分軸で捉え続ける人。そんな姿を見ると素直に応援したくなります。
しかしながら私はリーディングのときにソウルメイトっていう言葉は使いません。正直ソウルメイトかどうか、ってこと自体はあんまり重要視してなくて、というかそんなの真偽は誰にもわからないと思っていて、それよりもお互いがどんな役割をもった関係性でありそれを『ソウルメイト』と呼びたくなるほど重視できるか、ってことが大切だと思っている。そこが学校かどうかが重要なのではなくて、そこで何を学ぶかが重要、っていう感じ?
なので、「そこは学校(ソウルメイトと言えるほど濃い関係)ですよ、安心してください」って言われることに意味を求めるのはあんまり意味がないんじゃないかなと思います。学校におったら嫌でも「あぁここ学校だわ……」って思うはずやで。
こんなこと書いたらそんなに軽いものではないです!とかもっと運命的な神聖で特別なものです!!ナメんな!!とか何とか怒られそうな気もするけれど、別にナメてないんで怒らんでください
何にせよ、そんな風に一生忘れられない人に出会えるってのは素敵なことね。場合によっちゃめちゃくちゃ苦しいことも山程あると思うけど、きっとその先にはええもんが待っていると思います。そういう風に思って真摯に向き合っている人のことを、ももねこは陰ながら応援しておりますです。
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