『カップ 4』のカードには、木のそばで腕組みをして座る男性が描かれています。じっと静かに目を伏せており、動かない様子です。目の前には小さな雲のようなものから出る手があり、男性にカップを差し出しています。風は吹いておらず、穏やかな空気を感じます。

目の前に何かを差し出されたとき、受け取らねばならないような気がすることは多いかと思います。それは誰かが自分のために用意してくれたものだったり、たまたま巡り合ったラッキーだったり、無作為に配られるものだったり、シーンによってさまざまです。
大抵の場合は、特に何も考えず無条件に受け取っても問題ないでしょう。ひとつひとつに対して受け取るか否かの検査や判断をするのもなかなかに労力がかかります。とりあえず受け取っておいて、あとから所持するか否かを決めることもできそうです。
けれど、この絵の中の男性はそうはしません。眼前に差し出されるものに対して、自分の心が動く瞬間を待っているのです。理屈や利害は関係なく、他でもない自分の心が反応するかどうかで目の前にあるものを選ぶか選ばないかを決めようとしています。
私は写真を撮るのが好きです。首からカメラを提げて街を歩き、レンズ越しに街を見、心が動いたら立ち止まってシャッターを切ります。
このとき、自分の中の『カップ 4』がきちんと働いているかどうかは大きな要素になります。フィルムカメラならいざ知らず、デジタルカメラならばシャッターを切るという動作自体はいくらでもできますから、「とりあえず撮っておこう」は成り立ちますし、「あとから気に入ったものを残せばいい」も成り立ちます。ただ、そのようにして撮った日はイマイチいい写真が撮れていないのです。
それよりも、静かに自分の中の『カップ 4』を確認し、シャッターを押すこと自体に慎重になった日の方が、よほどいい写真が残ります。後から「何で撮ったんだっけ」と思うような写真はほぼほぼ生まれず、1枚1枚に「美しいと感じた瞬間」が熱を帯びて籠ります。そういった写真はいつ見返しても「こんな美しい景色に出会ったんだ」と生々しく思い出せるのです。
『カップ 4』はともすれば非効率で非合理かもしれません。けれど、目の前に現れるひとつひとつの事象に「心」が動くかどうかをじっと観察し続ける胆力があります。あやふやで曖昧で、根拠にはしづらい「心」というものを信じ、そこに取捨をゆだねる勇気と力強さがあるのです。
今一度、そういった勇気と力強さを意識して世の中に対してみると、見過ごしていたり埋もれていたりした「いいもの」が見つかるかもしれません。