占うときは、フシギとのコミュニケーションに手を抜くな

占うときは、フシギとのコミュニケーションに手を抜くな

私たち人間は群れる動物で、日々当たり前のように意思表示とコミュニケーションをしながら生きています。

しかしながら、この『意思表示』と『コミュニケーション』を混同すると高確率で災いが起きます。前者は原則として独りごとであり、後者は相手ありきの取捨選択であると認識しておくことが、日常に潜む災厄を避けるコツのひとつではないかと私は思うのだ。

複数方位の場だからこそ『意思表示』が面白い

「知ってほしい・理解してほしい・反応してほしい」という願望は『意思表示』の範疇、謂わば欲求です。『意思表示』はシンプルに意思の表示であるが故、直感的でスピーディーな発信ができます。そしてこれはTwitterやFacebook、InstagramといったSNS=複数方位に向けた場で発信するのに向いているのね。複数方位に向けた発信は、情報の受け手が「知る・理解する・反応する」かどうかを選択でき、もちろんその中には「スルーする・ミュートする・ブロックする」という選択肢もある。飽くまでも受け手側に「他人の欲求をどう扱うか」の選択を委ねるからこそ、欲求そのままをポンと出すことが許されるわけです。

そしてその欲求に同意や同調を得られると、得てして喜びが湧きます。その逆も然り、己の欲求に合う『意思表示』を見つけると、これまた喜びが湧く。そりゃそうだよね、「知ってほしい・理解してほしい・反応してほしい」という純粋かつ独りよがりな想いがダイレクトに刺激されるのだから。

単方位の場では『コミュニケーション』に手を尽くす

一方、『コミュニケーション』は相手ありきの取捨選択であると言えます。「伝えたいことが伝わるよう努める」「知ってもらえるよう、理解してもらえるよう努める」という創意工夫が乗る、ちょっと力のかかることです。理性が一仕事する時間を必要とするため、スピーディーさは失われます。が、会話やメール、LINEなどの単方位に向けた場ではこの創意工夫を欠かすと事故が起きやすいの。

何故なら、先ほどの『意思表示』と違って、受け手側の選択肢が限られるから。単方位=相手を定めた発信は、そもそも受け手が知ること・応えることを前提としたフォーマットなんだよね。受け手側への要求が多いからこそ、発信側もそれなりに言葉や情報を整えて出さねばならない。

場と手法の組み合わせを間違えると事故が起きる

単方位に向けた場で“欲求そのまま”をぶつけるとどうなるか。「伝わりやすいよう工夫されていない情報」「理解しやすいよう気遣われていない情報」を受けた相手はどうなるか。シンプルに困る。負担がでかい。『意思表示』を『コミュニケーション』と混同すると、フォーマットを選択する時点で受け手側の選択肢を「知る・応える」に限定し、その上で「知ってほしい・理解してほしい・反応してほしい」という願望をぶつけることになるのだ。そら事故るやろ。重い、面倒くさい、コミュ障……みたいな感想や批判が生まれるのもしょうがないやろ。

逆に、複数方位に向けた場で『コミュニケーション』の姿勢を強く持ちすぎても事故が起こりやすい。SNSでの発言は宛名がはっきりと明示されていないかぎり、すべて独りごとであります。誰かの欲求がそのまま、ピュアな形で落ちている。それがSNSなのであります。そのような場で『コミュニケーション』の姿勢を強く持ち「相手ありきの努力」を自分だけでなくありとあらゆる有象無象に要求したら。そら破綻するやろ。過敏、面倒くさい、コミュ障……みたいな感想や批判が生まれるのもしょうがないやろ?

占いはフシギとの『コミュニケーション』である

占うときは、フシギとのコミュニケーションに手を抜くな

ここまでの話を踏まえ、占いにおける“フシギ”と“人間”について考えてみます。大切なのは、人間を発信側、フシギを受信側として捉えること。占いや何やは「人間がフシギから情報をキャッチすること」と捉えられやすいですが、そもそも最初に交流を仕掛けているのは人間側であることを忘れてはいけません。「〇〇について教えてください!」って言うのはいつも人間側だ。そしてそれを無視しないのがフシギ側。カードは引いたら出るし、ホロスコープは作れば出るし、手相は消えない。フシギ側に無視という選択肢がない以上、占いは『コミュニケーション』の場であるべきだと私は思う。

発信側である人間は、受信側であるフシギに対して努力する必要があります。これが、占いにおける質問づくりね。ここを怠って適当にカードを引いたりホロスコープを展開したりしたところで、曖昧模糊とした反応が返ってくるのは当たり前です。例えば彼氏に「ねーねー」ってLINEしたとして、「何?」とか「えー?」とか返ってくるの、想像できるでしょ。何なら既読無視っていう反応が返ってくることもあるでしょ。それと同じよ。(彼氏彼女と同じく、そういう曖昧で意味のないやり取りを楽しめるのも占いのいいところではあります。遊び相手にもなってくれるんやで、占いは)

とはいえフシギはいつでもまっすぐに答えてくれる相手です。交流を仕掛けた時点で、「出たもの」をきちんと誠実に読む責務が生じると私は思っています。カードも星も、それ以外も、出したら読む。自分で出したものは自分で読む。そこに練度は関係ない。求められるのは誠実さのみ。プロとかアマチュアとかベテランとか初心者とかは関係なくて、ただ誠実に「読みきる」ことが大切なんじゃないかしら。途中で投げ出さない、自分で出したものは自分で読む。な。

伝える努力と気遣いをもって『コミュニケーション』を図る相手には、応えようと思うじゃん。応えたことに真剣に向き合ってくれる相手には、また応えようと思うじゃん。いわゆる“当たる占い”は、フシギに対する真摯な態度から生まれてくるように思う。

占い師と名乗るなら、なおさらそういう意識が大切だよね。きっとね。少なくとも私はそういう意識で占い師をやっています。

DUCK WORKSの占い、やってます。

具体的な相談ごとがあるとき、コミュニケーションを取りながら細かく掘り下げて「考えの種」が欲しいときは、占いメニューがおすすめです。タロットと西洋占星術をメインに占います。

京都市の東山三条にある事務所での対面占い、Zoomでのオンライン占いが選べるよ!お好きな方でいらっしゃいませ。